福浦さんは小型棒ウキ。敬竿さんは丸いウキ玉2つ。マキエサはジャンボアミにヘラブナの集魚剤を混ぜ込み、サシエサはモエビを使っている様子。空閑師匠も軟らかいチヌ竿でクロダイをタモ入れ。私はクジメとカサゴが数匹が今日の釣果。因みに私に、もう一人のウキフカセ釣りの恩師は会社の内田小二郎さん、空閑師匠と親友の釣り人ですが親睦会に入っていません。彼は吉田印刷磯釣俱楽部の会員。内田さんもウキフカセ釣りが上手でサシエサは田エビ。マキエサも黄色の布バッカンにジャンボアミとフナやコイを釣る集魚剤を加えクロ、メイタを良く釣ります。ただし内田さんは右足が義足でハンディを背負っています。それでも私と一緒に波止釣りで遊んでくれる優しい内田さんです。私が本格的にウキフカセ釣りを学べたのはこのお二方。空閑師匠は磯釣り専門。底物釣りもヤル、本当の釣りキチ。そんな師匠のおかけで伊木釣具店主催の「親睦会、筑前大島磯釣り大会」は対象外魚の私はボウズ。そして55人乗ったバスの中で抽選会はヘラブナの集魚剤が当たりました。師匠はチヌ鈎。年会費1000円で、このような釣行会が無料。ただし大島の定期船の船賃は自費。空閑師匠はクロダイ1匹にウミタナゴ5匹、検量しません。この当時の伊木「親睦会」は対象魚だったら何でも検量してくれますが、空閑師匠は福浦さんと若松敬竿さんの釣り人目当てで入会したのです。それに全磯連九州支部、若松磯釣倶楽部の大勢が、伊木親睦会に入っているので、この方達の交流を考えていた空閑師匠です。
 昭和40〜平成初期まで
伊木釣具店に若松磯釣倶楽部の看板ありましたが、いつしか九州新潮会に変わり、私達の吉田印刷磯釣クラブも海洋磯釣俱楽部に変え、看板を掲げてくれた大井戸町のはまや釣具店です。その頃の釣具店は、どこの店でも週末は、ごったがえすほど釣り人が多く溢れ、釣りエサから釣り具が良く売れた良き時代でした。そんな中、空閑師匠は若松区役所前の伊木釣具店で月刊釣ファンとか、月刊九州の釣り、月刊西日本の釣りという小雑誌を良く買っています、それを読ましてくれる空閑師匠です。私は雑誌は釣りポイントを知るだけのものと考えていました。しかし月刊釣ファンに若松敬竿先生と福浦朱竿先生の記事が毎月記載されています。それで師匠は、この本を毎月買っているんだ、と想ったのです。それに宮崎県や大分県の二人の釣行文を読み、宮崎県の細島に大分県鶴見半島、米水津の磯釣り、屋形島や深島、島ノ浦島も若松磯釣倶楽部のホームグランド的な紹介で、その若松磯釣倶楽部の大会がグラビア写真付きで良く記載されているのを見て、行きたがる空閑師匠に吉田印刷磯釣倶楽部の会員達。私は釣りきらないので運転手役。車の中で内田さんと空閑主任が月刊釣ファンで若松敬竿さんが細島でチヌ53㎝、55㎝、島野浦港でもチヌ56㎝、51㎝。蒲江西野浦のイカダからチヌにマダイ、大物の話しを色々聞け細かい内容は分からない。それにそんな大きな魚釣ってどうなるの?。

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1978年海洋磯釣俱楽部を結成して筑前大島大会、愛媛県佐田岬正野港はホームグランド。