さて、テーマの「私の生き方を正しく教えてくれた先人の恩師、親友シリーズ」№4で紹介する方は、私が釣りを覚えた20代の頃より身近に住んでいた若松敬竿さん、本名は山本〇〇さんです。小倉生まれの私が北九州市若松、吉田印刷所に通うとき、すぐそばに敬竿さん、ご夫妻が経営する喫茶店に写真館があったのです。若い私は気にも止めない仕事人間です。この事を意識し始めたのは月刊釣ファーンに原稿を書く事より知りました。
敬竿さんと最初の釣行は遠足でした?。なぜなら、私は初回で紹介した吉田印刷所の釣りキチ恩師、空閑敏明さんに連れられ、若松区役所前にあった伊木釣具店が主幹する「親睦会」に無理やり入会したのが始まりです。何も分からない、釣り初心者の私、やっと磯釣りで宮崎県門川沖の大ビロー島、小ビロー島や大分県鶴見、米水津の磯など、渡船を利用した磯釣りを年5度ほどしていた時代、もちろん私は独身です。そのレベルから師匠の空閑敏明さんが釣りキチで、弟子の私は無理やり伊木釣具店の親睦会に入会登録されました。それで年4度の釣行会が始まります。貸し切りバスに釣り具をギュウギュウ詰め込み、残った荷物はトラックで運ぶ釣り場は宗像大島です。定期船を利用し港に着くと、半分がマイクロバスとか軽トラックで裏磯に行きましたが、私と師匠は今の海釣り公園施設がある外波止港内の釣り。近くに敬竿さんと福浦朱竿さんの釣りを見ながら、空閑師匠と隣りでチヌ釣り。3月頃だったので寒チヌ狙い。100mぐらい間をあけ、静かに二人の釣りを遠目で見ながら、空閑師匠が二人の釣り方を観察し釣りをします。私は初心者、グラスロッドは師匠のお下がりのダイワ大島2号5mロッドに小型のアブのスピニングリール。ライフジャケットも磯靴も、みんな先輩や師匠から頂いたものばかりで、エサとハリスは通いの若松大井戸町の、はまや釣具店で買った安物ばかり。ジャンボアミに赤土を少し入れ、粘りをだすマキエサに砂ゴカイ虫が付けエサの私です。師匠は若松えびす市場で小エビを買い、ジャンボアミ漬けしたエビのエサ、色々。それで大島でウキフカセ釣りのチヌ釣り?。私は魚が釣れたら何でもイイので、チヌという魚にこだわる師匠に理解できてないのです。それで、釣り場に着いて30分もしない内、福浦さんの軟らかい竿が曲がりタモ入れした魚は銀鱗が眩しいチヌ。その隣りで若松敬竿さんも竿を曲げ、クロダイ40㎝前後をクリアーしながら、仲良しの二人がクーラーをイス代わりにし、タバコを吸いながらの釣りスタイル。本当に静か。その外波止の犬走り上の外洋では大勢の釣り人が、クロにウミタナゴ、カサゴにメバルが入れ食いで、竿がドンドン曲がり楽しそうです。この当時は魚影が濃い宗像大島です。そんな状況でも港内を釣る中年釣り師二人。私は22才。
空閑師匠は40代で、同じぐらいの釣り人が次々ロッドをヒン曲げ、スカリにチヌを入れている状況見て、どんな釣り方をしているのか知りたくなります。しかし引っ込み思案の私は、その勇気がない。師匠が遠目でジロジロ二人の様子を観察しています。

2p 1981年ごろの筑前大島外波止、海洋磯釣俱楽部、18人の大島釣り場掃除の一コマ