先輩達に連れられて行く釣具店で知る店には大物魚拓が天井にベタベタ貼られ、渡船基地でもデッカイマダイに石鯛、メジナの魚拓。それを見て私は、こんな大物、釣りたいとは想ってない。第一そのようなタックル持ってない。それに金欠病で魚釣りのお付き合い、したくない!! これがホンネ。それでも師匠が読み捨てる月刊釣ファンは大切に頂き、参考書として保管している私。そして私が一番好きなのは淀谷一竿さんと向井吉夫先生の記事が好き。分かりやすい文章と、投げ釣りポイントが多く紹介しているので、釣り仲間の多くがこのお二方を支持する。それで難しいウキフカセ、二段ウキ釣法の若松敬竿さんの長ーィ文章には、ついて行けない。福浦朱竿さんの文章は短く、釣りマナーとか磯連の内容が多くあり、正直、興味ない。それより田川市の向井吉夫さんの稿が一番好きだった。二番目が全日本サーフ所属小倉サーフ事務局長の畑間光男さんのキス、カレイ、アイナメのポイント、仕掛け、色々に淀谷一竿さんの釣り場めぐりのポイント紹介、これが大好き。 読者は身近に感じる釣りスタイルに釣り方と仕掛けポイント、エサの情報が一番ほしいので、初心者的な釣り人をリードしてくれる執筆者を尊敬する。それで若松敬竿さんはその中に入ってない。後になるが高園満さんも、その一人だが、その後まさかの天界になるとは夢にも感じてないバカな私。伊木釣具店主管の親睦会では必ず福浦さんと若松敬竿さん、伊藤芳樹さんに、歯科医の中村さんのコンビが面白い話しをバスの中でしている。彼達はいつも最前列。私達は後部でその話しを聞く。又、若松港からチャーターした客船に60人以上乗せて行く小倉の馬島、藍ノ島、蓋井島にも行った、この時代、渡船がなかったからだ。それに漁船が定員7人を無断で白島に渡してくれた事もある伊木釣具店主管の親睦会。全て内緒の釣行会?。そして藍ノ島の釣行は、ほとんどの方がアイナメ、クジメ、メバル、カサゴ狙いで総重量10㎏とか15㎏。大きなアミネットが破れた釣り人がいた。私と師匠は、いつものように福浦さん、若松敬竿さんの後を追った、彼達はウキフカセ釣りチヌ大漁。でも師匠が数枚。私はメバルと小グロが数枚釣れた。その中で脇ノ浦から蓋井島に二度ほど親睦会の大会で参加した。玄海灘の荒波に船酔いし二度もボウズ。港に着いたら親睦会の半分ほどが予約していた漁船で磯釣りしていたが、このときは師匠と二人で波止釣りし、小グロを良く釣ったが、チヌは釣れなかった。
 そのような伊木親睦会との釣行は7年続いた。その後、吉田印刷磯釣倶楽部が解体され海洋磯釣俱楽部を新に組織したので伊木釣具店主管の親睦会を退会した私達。その次の年、全日本磯釣連盟西日本支部から離脱した若松磯釣倶楽部が、新に出来た九州礒釣連盟に入籍し、私達の海洋磯釣俱楽部も九州礒釣連盟に入会登録された。

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1979年九州礒釣連盟若松地区響灘大会で福浦朱竿さんから若松坊主会の藤田さん。入賞者