これより九州礒釣連盟6000人の会員をまとめる組織、執行部、福浦さんや若松敬竿さん、若松地区長を任された伊藤芳樹さんなど、北九州市若松から多くの釣り人、有名人が排出された。又、若松にはダイナミック磯釣連合という、九州に30クラブ以上を持つ組織がありましたが九州礒釣連盟に吸収合併されます。その中にジャパンダイナミック戸畑をお世話していた高園満さんも九州礒釣連盟の会員となり、月刊釣ファンの常任執筆者となった方です。若松敬竿さんと親友の存在でした。私が所属する海洋磯釣俱楽部も九州礒釣連盟組織の一部とし北九州支部、若松地区の中核となるのですが海洋磯釣俱楽部は名前だけ、会員の半数は投げ釣りを得意とし、全日本サーフに心代わりする仲間も多くいたのも事実です。正直、私も投げ釣りの方が得意かも知れません。しかし月刊釣ファンに執筆依頼を受け、毎月投稿するようになると投げ釣りより、ウキフカセ釣りをする方達とのお付き合いが始まるのですね。当然のように、その釣りスタイルに関わってくるとスポーツのテニス・ガットで有名な、㈱ゴーセンが月刊釣ファン、河村博社長とタッグを組み、九州礒釣連盟を抱き込み、都留正義会長がリーダーとなり北九州市小倉のホテルニュー田川で九州礒釣連盟の各県支部長が集まり、釣ファンの若い執筆者達も15人ほど参入した集いがあり、当然のように私も㈱ゴーセンの、つり糸モニター役で式典に参加し、LKG九州のメンバーに入りました。若松敬竿さんや高園満さんも招待されていたと想うのですが、つり糸の特許を持つ大企業の㈱東レ系があったので、お付き合いだけの人もいました。当時、ウキフカセ釣りで有名な釣り人、小倉浮竿さんと、ここで知り会い最後まで小倉浮竿さんと㈱ゴーセンをPRした私です。このお話しは1980年代で、釣り糸メーカーは㈱東レを真ん中にし10社程度、今では100社以上あります。その事を少しずつ知り、釣界の有様が変化してゆく過程にドップリ嵌る私は、まだ先の事になります。
 私が住む北九州市若松、吉田印刷アパートで洋子ちゃんと新婚生活を始め浜町から近い、明治町で喫茶店と山本写真館をしている若松敬竿さんの事を知りました。一度も訪問した事ありませんでしたが、あまりにも敷居が高い方であると同時に、私の恩師、空閑敏明さんが最も尊敬していた釣り師である事。加えて何処の釣り具メーカー、企業にも属さない堅い意志を持つ方で、遠ーィ存在の方と仲間内で知っておりました。九州礒釣連盟、若松地区、会員300人以上の新年会、忘年会が毎年あります。保里会長と私も出席するのですが宴席の前の方に若松磯釣倶楽部の有志が囲っていて、いつも遠目の私達でした。そして月刊釣ファン執筆者の中で若松敬竿さんの二段ウキ・チヌ釣法について、テーマが持ち上がり、座談会形式で10人ほどの熱烈なファンが集う記事が記載されました。その内容が数度にわたり、月刊釣ファンの中で紹介され、興味深い内容で私は読んだのです。

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1978.1.月海洋磯釣俱楽部の新年会、総会は若松二区公民館で奥様が料理し混じる宴会でした