私は出来るだけ釣ファンの稿を毎月、北九州市小倉北区の本社に届ける事をしました。若松から小倉菜園場まで30分で行けるし、何より、おもてなししてくれる奥様や島本社長に私と同じ年の尾形さんや松崎さんがいたからで、ヤング鬼笑会のチームがここで盛り立ててくれる。それに話し上手の若松磯釣倶楽部の木原さんに会え、すぐに上五島の話しに、四国武者海の荒磯釣りに、底物から上物釣りまでのヤング鬼笑会のプログラム作りが始まるのです。木原さんは北九州青果市場に勤務している方で魚や生活に欠かせない食品の事。何でも卸値で買ってくれる方。でも私達には不向き、量が半端ないくらい購入が必要。それで木原さんと一緒のヤング鬼笑会の釣行に、渡船や民宿に木原さんが持ち込む青果のプレゼントがあった事を後で知るのです。全て出前よと島本修ちゃんの話しで、ヤング鬼笑会のメンバーのほとんどが店を持つオーナーばかりで、とてもついて行けない。でも義理人情に弱い私は付いて行くだけ。その事で多くの釣り場を知り、同世代の釣り師から学ぶ釣り以外の交際術知りました。その中で少しずつ若松敬竿さんの事を色々な釣り人から聞けたのです。「ジョーさん(上瀧)、すぐ近くに住んでいて、敬竿さんの喫茶店、行った事ないの?」と良く言われるのです。口下手な私が、ずうずうしくも、用もないのに行けない。何せ、九州釣界の有名な釣り師であり肝心のウキフカセ釣り二段ウキ釣り法を全く理解できてない私。それよりも九州礒釣連盟、会長の都留正義さん家に行く方が、よっぽどイイ話しが聞けて楽しめる。何せ、私と同じような投げ釣り、磯釣り、波止釣りの情報を頂けるし、ハートがデッカイ親父のような方。北九州支部長の薮田敏郎さん家の会社にも良く通ったが、こちらも都留さんと同じ雰囲気で話しがしやすい。そして若松にある7つの釣具店や小倉の釣具店に門司の釣具店、店長から色んな話しが聞け、情報を教えてくれるメリットに楽しさ。このときは北九州ポイント店知らないレベルです。しかし、昭和から平成に入って来ると北九州の釣具店が半分ほどになります。ポイント店が各地域で繁盛してきた証拠によるもので、私は若松、はまや釣具店にトップ釣具店が主です。
そして、まさかの事態が起きました。月刊釣ファン、三代目社長、島本修一さんが突然引退。後任にまさかの若松敬竿さんになった事。これには驚きました。色々な事は知らないのですが、敬竿さんが月刊釣ファンの社長、兼、編集長になった事。しかし常人の私には理解できません。ただ、常任執筆者として毎月、原稿を届けるだけ。若いスタッフがいて、始めて敬竿さんの奥様が事務服姿でコーヒーを入れてくれました。甘い美味しいコーヒーで、原稿を持って行く行為を素直に出来るようになったのは、敬竿さんが「ジョーさん」。あるいは「上瀧さんの稿は素晴らしい」とホメてくれた事。特別扱いされているような気持ちで、おもてなしを受けたのです。
.jpg)
7p 1985.6月 九州礒釣連盟若松地区大会は若松響灘一帯、挨拶する新任の下村要一会長、入賞者