その後、海洋磯釣俱楽部20周年記念誌の原稿依頼お願いすると、すぐに書いてくれました。社員のヤング鬼笑会の松崎さんも書いてくれた。驚いたのは若松敬竿さんの稿に、海洋磯釣俱楽部初代会長の保理剛太郎さんが、まさか若松高校ラグビーのキャプテンで同級生とあった事で、随分前から敬竿さんは私達の事を知っていたんだ、と想ったのです。若松敬竿さんは身長180㎝ごろでデッカイ方。それに口数が少ないと想っていたのに、釣ファンに原稿を届けると一番に挨拶してくれ、すぐにコーヒーを注文してくれる。おっとりして優しい笑顔に、親身になって話しが聞ける方。親父ぐらいの方だが、こんな風に話しがしやすいのだったら、もっと早く親交を深めれば良かったと反省色々。やっぱり九州釣界をリードするような方は、こんな方でないと纏めきらない。それに多くの人々から先生と呼ばれる釣り人は少ない。釣りのスタンスは違うのだけど、こんな風に接し、始めて若松敬竿さんの人望を知る事ができたのは敬竿さんが月刊釣ファンを切り盛りする平成10年ごろです。それ以上のお付き合いはないと言うより、あまりにも存在感が高く先輩師匠とか言う立場でない私。でも釣り人の心を優しく掴み取れる魅力、大人の魅力が身体からにじみ出る人は敬竿さん以外にありません。それでも、このような小誌で紹介するのは口惜しい。もっともっと大きな存在人であると想うのですが、彼の考え方、生き方は、派手な人生でなく、落ち着いた、静かに釣界を去りたい、そのような兆しを見て取れた。
 私と若松敬竿さんとのお付き合いは、月刊釣ファンを通し、原稿を手渡しできた5年ほどで終わり。四代目の編集長が㈱釣研に勤めていた中島さんに変わり、大きく釣ファンの内容が様変わりしたので、数年後、私の稿は使われなくなりました。当然のように定年を迎えると少しずつ社会と切り離される。いつまでも青年ではすまされない現実。
月刊釣ファンも社員10名で生きる為、色々な知恵をふり絞って生きながらえる。古くさいシニアの考えでは続かない。何せ、印刷所もアナログからデジタルに移行し、ドンドン印刷所が消えてゆく。北九州市にあった毎日、読売、朝日、西日本西部新聞社が福岡市に移転してゆく中、下請けしていた中小企業の印刷会社も当然のように消える。そして、紙文化からデジタル、AIの時代に入ってきた現在、とうとう一昨年、月刊釣ファンが消えました。2000年初期、小西和人さん(元・全日本サーフ会長)が週刊釣りサンデーを大阪より出版されていたが、釣り雑誌の価値観が失われる未来像を見据えて廃刊します。私も小西和人さんから依頼された原稿はキス、カレイ、イシモチ、対馬、平戸、崎戸大島、色々11稿が単行本に記載され、2010年は月刊釣春秋や月刊釣り紀行も廃刊。そして2020年、週刊釣り太郎も消え、最後の2023年、月刊 釣りファーンがコンビニから消え廃刊しました。九州釣り文化を築いた月刊釣ファンのお付き合いは38年ほどありました。

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1980.11.ヤング鬼笑会、上五島石鯛釣り&蒲江屋形島イカダ磯のクロ釣り