mujik ポール・モーリア (カリブの白い砂) No.06
2025.9. 私の生き方を正しく教えてくれた「先人の恩師・親友シリーズ」No.6


 暑い残暑が残る9月になりました。皆さん、こんにちは、そして毎日お仕事に励まれている皆様、大変お疲れさまです。お仕事リタイヤされた皆様、海洋磯釣俱楽部ob会員の皆さん、お元気でしょうか。私は元気盛り盛り、エアコンの涼しい風邪受け、この稿を書いておりますが、まだ8月に入ったばかり、もうすぐお盆を迎える時でもあります。この季節は、ご先祖様に両親、親族、洋子ちゃんの、ご親戚方々のお付き合いあり、懐かしい想い出に耽ること多くあります。それに海洋磯釣俱楽部会員名簿196人の中で、お付き合い出来ていない釣り人が135名いらっしゃいます。その多くが釣り人生を全うされた方です。今年海洋磯釣俱楽部は創立50周年を迎えましたが、イベントは何もありません。ただ私を含めヤル気力が失われたシニア世代です。それでもネットや機関紙サーフメイズJAPANで絆を持てている事しています。釣りスタイルが大きく変わり、アナログを真ん中に活動していた海洋磯釣俱楽部は今の時代そぐわない現実があり、魚釣りがどのように変化し、遊びの、趣味の、楽しみ方を仲間達と増やすことが出来るか、これがテーマとなり若者を求めています。

1p 九州礒釣連盟北九州支部新春定期釣り大会クロダイの部優勝、高園満さん(左端)

 さて、
この度紹介する北九州市に住んでいた高園満さんは、私が30代ごろに出会った方で、月刊 釣りファーンの忘年会に出席した時ご挨拶出来ました。釣りファンの執筆者が集まる集いは北九州市小倉北区菜園場にある月刊 釣りファーンの創立者、河村博社長の自宅兼会社の鉄筋3階建て、1Fは会社兼事務所、地下には月刊 釣りファーンの在庫本からアナログ機材。2Fは会議室兼大広間があり、新年会、忘年会をしておりました。3Fは自宅になります。その会社で創立メンバーでもある執筆者30人以上に河村博社長と親密なお付き合いのある九州礒釣連盟 都留正義会長に薮田敏郎事務局長から各県支部長に、若松敬竿さん他、沢山の有名人が部屋に入り込めないぐらいいました。私は部屋の隅っこで最近お付き合いを始めた釣り糸のゴーセン、LKG九州の小倉浮竿さんに芦屋航空自衛隊の横井さんの側で、おつまみを食べながら聞き役。すると若松敬竿さんと仲良しの高園満さんの紹介がありました。高園満さんはダイナミック磯釣連合で御世話係されているそうですが、ベースは底物釣り、しかし、最近クロダイ釣りに嵌った、とかの挨拶ありました。二人とも背が高く、威圧感を感じるぐらいの二人は、その後月刊 釣りファーンの常任執筆者となります。
 この当時は磯釣り最盛期の時代で、大型渡船がドンドン就航され、釣り人3000万人が磯のメジナ、マダイ、イサキにクロダイ、底物の石鯛からアラにクチジロイシガキダイを狙った長崎県五島列島に男女群島は底物師の憧れの釣り場で有名。全国から釣り人が押し寄せていました。もちろん鹿児島県の南西諸島からトカラ列島に甑島、四国、武者泊等の釣り場は関西からの釣り人が多く、渡船基地で貼られている魚拓は巣覚ましいほど、強烈なインパクトありました。その中に多い「ジャパンダイナミック磯釣連合」の魚拓に、圧倒されました。会員のほとんどが底物釣り専門。私が住んでいた北九州市若松区の矢野釣具店さんはダイナミック磯釣連合の本部事務所、かの有名な小川陽一郎さんが始めた組織に栗林峰太さんや小路隆さんも深く関わっている組織に、㈱がまかつ社長が加わる事で大きな一大組織となりました。トップの方達との交遊は小路隆さんから聞いたものや、ダイナミック黒崎の田中栄一さんに清水隆夫さんから多くを聞きました。そしてこの度の高園満さんは、底物釣り師でありながらクロダイ釣りを愛した方でもあります。同じ月刊 釣りファーンの執筆者として学ぶ事も多くありましたが、チヌ釣りでは全くの別世界、クロダイだけに拘る様な釣りをしない私に、微細で繊細な釣技は必要無いのですね私は。正直、チヌは投げ釣りでも釣れますし、波止の落とし込み釣りで50㎝、55㎝はザラに釣れます。そして釣れる釣り場に行けば、苦労しなくてもチヌがエサを食ってくれる、そんなイメージさえあります。そして海洋磯釣俱楽部が創立メンバーとして入部している九州礒釣連盟の組織には年三度の定期大会があり、チヌの部で私達クラブ員はウキフカセ釣りで毎度50㎝前後で入賞、優勝あります。巨チヌが多い長崎県対馬浅茅湾、釣研丸を利用しチヌとシロキスの大物良く釣りました。
2p マルキュー株式会社 宮澤社長さん MFG九州会長 高園満さん 洋子ちゃんと私

 高園満さんや若松敬竿さんは釣り場を選ばない、招待された釣り場でチヌを釣る事ができます。常人では釣りきらない釣り場で一匹のチヌ釣り、思考を高め釣るから凄いのです。
その後、ダイナミック磯釣連合は九州礒釣連盟に吸収され、高園満さんが九州礒釣連盟の会員組織に顔をだすようになりました。私と直接話しが出来るようになったのは九州礒釣連盟北九州支部、機関誌「北九州支部だより」を発行する原稿依頼をすんなり受けてくれました。それは高園満さんが「北九州支部定期釣り大会でチヌの部優勝」されたので、お願いしたのです。そして1週間たらずで書いてい頂いた内容は、釣り場に、釣りスタイルにマキエサ、サシエサに仕掛け色々。他に5人の優勝者いましたが稿は頂けません。それでも色々な内容に広告をまとめ12pで2000部発行していた私です。ご存じのように九州礒釣連盟組織の釣り人は、全てがボランテア奉仕の立場ですから書いてくれた高園満さんに原稿料はありません。もちろん私、自身も全てが奉仕で苦労していた時代です。その事が良く分かってくれた高園満さんです。そして、いつの間にかマルキュー株式会社との接点が生まれました。
 お付き合いを始めた㈱釣研、田中栄一社長は㈱オリンピック・インストラクターの座長をしておりました。この時の仲間が寒竹純一さんに磯島信弘さん、その後釣研FG会長されました。そしてマルキュー株式会社との絆関係もあり、何かの縁で繋がる九州釣界には、ペンライター組織の全九州釣りライター協会小路隆さんと田中栄一さんの結びつきが多くありました。そして月刊釣りファンの後押しで、私はいつの間にかメデアの最先端に立つ位置にありました。自己自賛ではありますが、多くの組織を動かす輪っかに入ってしまうと必ず制約を受けます。イイ事も悪い事もありそうで、この当時の私は九州礒釣連盟と海洋磯釣俱楽部のお世話係に、(公財)日本釣振興会と繋がる行政との接点を大切にし、釣り場環境美化に、海辺感謝の日、釣り人を育てる、事をテーマにした㈱タカミヤ・ポイント 会長 高宮俊諦社長と全九州釣りライター協会小路隆さんとの絆を最も深めていた事で、メデアとメーカーさんとの関係は逃げていました。ただし恩師の後押しは出来るハートで、ささやかなお付き合い程度が良かったと、今でもそう想っています。その事で高園満さんがマルキュー株式会社とタイアップさせたMFG九州、立ち上げのメンバーに一緒にお付き合い出来た事、幸福でした。そして高園満さんが汗水流し、MFGフアーングループを全国組織とした情熱は、マルキュー株式会社と一体となって支えられています。たかが趣味の魚釣りでしたが、高園満さんがイメージする、釣り人あっての釣り趣味を、多くの人々に感じてほしい。その為の礎となり、私達に未来を託しました。改めて高園満さんの軌跡を辿ると、月刊釣りファンのチヌ釣り記事を垣間見ると繊細で細やかな内容は私には表現できません。それでも多くの釣り人、釣り仲間が慕っている内容に心惹かれる人望は熱き者達が誘っているような門限があります。常人でない大義を果たした有様は永久に語り続けられるでしょう。そして九州釣界から超有名人が去られた事、MFG九州総会で知りました。   敬神

3p 真ん中 宮澤社長、隣り洋子ちゃん、哲ちゃん、私。
右 MFG九州会長 高園満さん

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私の生き方を正しく教えてくれた 「先人の恩師、親友シリーズ」
      釣り人、高園 満さんと私


             海洋磯釣俱楽部・事務局 上瀧勇哲