mujik ポール・モーリア (オリーブの首飾り) No.1
2025.1. 私の生き方を正しく教えてくれた「先人の恩師・親友シリーズ」 1


皆さん、こんにちは。お仕事に励まれている皆様には、毎日大変お疲れさまです。
さて、私の青春時代は「貧乏暇なし」と言うことわざ通り、毎日仕事に追われ無我夢中でした。180人あまりの会社の中で本当にコキ使われました。それでも、それに見合う報酬がありましたから頑張る事ができました。当時の労働基準法は週6日出勤、48時間労働で日、祭日が休み。有給休暇は年7日、プラス勤続年数により最大30日ありました。そして毎月の残業時間が平均80~120時間、プラス、日、祭日出勤は当たり前のようにありました。それで課長に事前に休暇届が必要です。その代わり私の仕事が先輩、仲間がする事になり、迷惑かけますから中々できなかったですね。オマケにオールマイティーの仕事は工員、営業、配達、何でも出来る私は本当にアッチ、コッチの職場の課長から誘惑、イヤ、会社命令ですから仕方なく忙しい職場で更に残業が多くありました。その事で残業の賃金が基本給より高い事が、しょっ中ありました。若いときは当たり前のようにあり、会社の忠誠心、溢れていましたね。

24才で結婚した洋子ちゃんとの新婚生活は会社の社宅。会社から徒歩3分の近さ。休んで魚釣りなど行けば上司に専務に知られますから完全にアウト。そのような北九州市若松時代を10年過ごしました。その10年には入社草々に吉田印刷磯釣りクラブの結成で事務会計を会長直属で担当しました。そして海洋磯釣俱楽部の結成が昭和51年3月、私は保里会長側近の書記長。次の昭和52年には九州礒釣連盟が創立し、海洋磯釣俱楽部も当たり前のように18人、入会し、磯釣連盟では全日本磯釣連盟につぐ6000人の会員が九州礒釣連盟でした。その下部組織の北九州支部1600人、海洋磯釣俱楽部は若松地区所属の16クラブ、358人の中で活動が始まりました。

その組織のトップが都留正義会長です。北九州市門司で酒屋さんを経営している会長は、シロキス投げ釣りの大先輩ですが、ベースは磯の底物釣り師です。そして事務局長の小倉石鯛クラブの薮田敏郎さんもキス釣りが好きな方で、この方には特に優しいイジメを受けました。その方が初代の北九州支部長を2期4年、磯連事務局長と兼任で勤めました。その有様を私、若者目線で見ていましたね。
今度、紹介する方は「二代目、松井睦明北九州支部長さん」です。私は、この方を釣り人の英雄に例えられる方と想います。その事を知ったのはまだ30代でした。
若松時代の10年間は、月刊 釣ファンに投稿したり、スポーツニッポン新聞の釣りライター契約。その後、毎日新聞西部本社の専属釣りライターとなります。その事を位置づけてくれたのが
都留正義 連盟会長さんです。その若者世代を育てる役割なった「松井睦明さん」です。今度は、今はいない松井さんとの出会いから紹介します。

私と松井睦明さんの、最初の出会いは北九州市小倉の井筒屋デパートでした。
昭和54年6月、九州礒釣連盟北九州支部長、初代、薮田敏郎さんは本部の事務局長も兼ね、都留正義会長の側近中の側近でした。薮田さんは会社経営者でもあり、名門、小倉石鯛クラブの会長さんでもありました。その方から、いきなり電話で呼び出され、玉屋デパート前の会社に行くと小仲総務部長もいました。まだ20代の私「何?でしょうか」。上瀧君、まず座リーィと、冷たいアイスコーヒーを出してくれ、始めて食べるような三角ショートケーキがありました。私が酒を飲まない事にマイカーで来ている事を知っている支部長さんです。いつも高い壇上で北九州支部会員1600人をまとめている偉い支部長さんですが1対1の会話では、まるで教師のようなタイプ。
相手を優しく想いやり、説き伏せる内容の話しを、遠回しに語りかけてくれます。
私がキス釣りとか、投げ釣り大好き人間を月刊 釣ファンとか新聞、雑誌などで良く知っているので「上瀧君、対馬の琴の港でクロダイが、イカの臓物で釣れよるんよ、知っとる?」私、知りません。その話しから「イカ漁船が早朝、帰って来てイカ干しするとき、漁師から臓物をタダでもらい、それで45~55㎝チヌを10枚~20枚釣るんよ」と、そばで小仲さんも一緒になって説明してくれます。「ハァー」が私。
正直、対馬に年1回のペースは全部シロキス釣り。その事も知っていて小仲さんが、港の中でチョイ投げで釣れる豊港、泉、比田勝、舟志港の各ポイント、図面を書いて教えてくれました。「そうなんですかァー」が私。この時、釣りの話しばっかり。
その目的は、薮田支部長が「上瀧君は関門海峡の夜釣りイシモチ、釣りクラブで、よう釣っとるヤロー、その話しを、まとめて1時間ほど井筒屋5Fの朝日新聞主催の釣り展で、みんなに講義してくれん?」
私 「エエーッ、人前でそんな話し、した事ないので、できません」
薮田「第一部が中間石鯛クラブの松井睦明さんがクロ釣り講議、決まっとるんよ」
薮田「それで月刊 釣ファンで人気の上瀧君が第二部の投げ釣りテーマで、何でもイインやけど話してくれん」と、言い聞かせるように言うので、
私 「隣りに小仲さんがいるじゃないですか」
薮田「彼は進行役で、色々と朝日新聞との共催、井筒屋デパートとの打ち合せが忙しいんよ」今度は九州礒釣連盟、北九州支部が共催の立場で、後援が北九州市と井筒屋デパート。それに九州礒釣連盟の大物魚拓100枚ぐらい会場に貼り、釣り関係の写真パネルは朝日新聞が準備するので「ぜひ8月10日の土、日、2度だけ、お願い」と頭を下げる薮田支部長さん。イヤとは言われないし、講演料として4万円頂けるのも嬉しい。魚釣りで金欠を補う大枚に敗け講義しました。
◎その会場に100人あまりの釣り展でクロ釣り講義した松井睦明さんは凄く上手。私の番になり、あらかじめ関門海峡の「イシモチ・ポイント図」チラシ作成、皆に配布したのが良かったのか、大成功。話しは下手でも貴重なポイント図は人気。土、日講義して薮田支部長が、又するケン。そして今度は「九州礒釣連盟のサーフ指導部長になってくれん」?。これは完全にお断りした。

4年後、松井睦明北九州支部長が誕生した。この時は北九州支部会員1600人。松井睦明支部長から企画か渉外部長の役職で声かけられたがNO。それは支部内の八幡地区とのゴタゴタ、色々あったので、入りたくなかったがホンネ。しかしゴタゴタが納まった5年後、私は支部の広報部長に選任された。これから松井睦明支部長さんと、お付き合いが本格的に始まる。松井睦明さんは中間市役所の水道局の課長で中間石鯛クラブ会長21人。その中で北九州支部をまとめる立場の人。その時、八幡地区が分散され1200人となってしまった。九州礒釣連盟 北九州支部を盛り上げる、会員を増やす役割の広報部が私。早速、松井支部長に頼んで「北九州支部だより」発行。
ここまでは良かったが前例がないので予算は無しとか。仕方なくボランテア奉仕のつもりでスタート。さすがに実費は辛いので広告探しで大阪のボナンザ、岡本薫さんから2万。大先輩の全九州釣りライター協会、小路隆さんにお願いして、釣りえさの三太郎3千円、下村会長から高宮ポイント2万の紹介、釣研、田中栄一さんから2万、他色々ありましたが、全て支部の会計がお金の管理をします。私は原稿作りと取材、ワープロからパソコン時代に入るまで完全版下作業し、印刷所で印刷だけ。
妻と二人の共同作業、ボランテア奉仕の限界までして自己満足だけが残りました。
これも松井睦明さんの為、北九州支部の為。6年間勤め、妻から多額の借金しましたが支部の役員さんは知らぬふり。唯一、松井さんだけ私の苦労分かってくれました。その事で所中、中間市の遠賀川そばの松井さん家に原稿依頼、兼遊びに行きました。
行くと奥様がランチから近所から貰ったスイカに野菜色々頂けたり、(公財)日本釣振興会のゴミ袋が山盛り、あったので全部貰いました。それで海洋磯釣俱楽部の大会は釣り場の掃除兼、一般釣り人参加の大会でゴミ拾い、良くしましたね。そのご縁で㈱高宮俊諦さんと(公財)日本釣振興会とのお付き合いが、より多くなりました。

(公財)日本釣振興会 九州地区支部の定時総会及び福岡県支部総会と一緒の出席。タカミヤマリバー財団から北九州少年少女釣大会と社団法人門司天使育児園と繋がり他、北九州市教育委員会や港湾局から市政まで繋がるプロジェクトの環境整備活動に、海釣り公園、開設準備室とのアクションプログラムなど、多岐にわたる支部長の仕事は有休休暇を利用した、お世話係。私も出来る所で、出来るまでお手伝いします。その上、九州礒釣連盟北九州支部のリーダーは何かとトラブルを持ち込みます。その対処法も松井さんならではの軟らかい対応で踏ん張る事、見てきました。たかが趣味の魚釣り組織、支部役員さんも皆、ボランテア奉仕が当たり前の時代です。それでも支部会員1200人を束ねたアクションは大変なのです。毎月一度の役員会議も大変、九州礒釣連盟本部との協力体制も大変。海難事故が任期中、三度ありました。之の対処にも松井支部長が動き、役員さんも動員が掛けられます。私、挫けましたね、でも松井睦明支部長、在任中は、シッカリサポートしました。

そして毎年の正月前に松井支部長さんからブリ10㎏良く頂けました。また、海洋磯釣俱楽部の大会に特別参加も10度ほど。私も中間石鯛クラブの大会に5度ほど特別参加しましたら全員に賞品があるのです。みんな松井睦明さんの手出しです。

◎釣り大会については九州礒釣連盟や読売新聞社、スポーツニッポン新聞社等から私達、常連のように入賞、優勝しましたが賞品の、ほとんどは海洋磯釣俱楽部が主催する一般釣り人の大会に寄付、若松地区大会や北九州支部大会、少年少女釣大会、等に寄付していました。また、お付き合いのある「㈱がまかつ」「㈱釣研」「㈱オーナーばり」「㈱ボナンザ」「㈱マルキュー」「全九州釣りライター協会」「㈱タカミヤ・ポイント」「(公財)日本釣振興会」「㈱ダイコー」さんから応援して頂いた事、緒中ありました。この時ほど自己満足した事ありませんが、その事のお返しとか、御礼状に記載された新聞、雑誌のコピーに「機関紙・海洋だより」の送付は毎号します。そのような事は全てボランテアです。おかげで洋子ちゃんから嫌われましたね。しかし私がしている事を松井睦明支部長が見ています。お金のご縁はありませんが一緒の釣行良くしました。マイカーの中で良くしゃべるのです松井さんは。一緒に上がった深島の磯に屋形島、佐伯市四浦カネイシ、大鏡、小鏡、観音崎に白石灯台。他にも鶴見の大バエ、海賊、横島、小貝、色々はクロ釣りです。定年と同時に支部長を大川さんに譲った松井さんと、海洋磯釣俱楽部の佐伯四浦釜戸の大会に参加してくれました。

この頃メガネが必要になり、そのメガネ忘れた松井さん。私が針を結んでやったり、マキエの準備や送迎もしましたね。70才になり趣味の盆栽を始めたので見にゆくと裏庭に50鉢ぐらい「2~3鉢持って帰れ」と言っても毎日の手入れが大変でNO。
九州礒釣連盟主催のビッグ釣り大会の平戸島キス釣りから関門海峡の投げ釣り。何でも私達に合わせ、お付き合いしてくれた松井睦明さん。奥様を亡くし、一人娘と一緒の家庭はチョット寂しい様でした。時々「機関紙サーフメイズJAPAN」を持って遠賀川そばの㈱釣研に通っていたとき、ついでに立ち寄る松井さん家に行くと、いつの間にか病院へ。まだ若いのに。お世話になった35年間ありがとうございました。







1985.9.15.九州礒釣連盟北九州支部が若松響灘で釣り場掃除は松井睦明支部長のもとで開催出来た。その後(公財)日本釣振興会とタイアップして毎年釣り場掃除をした松井睦明支部長の功績を讃えたい。  北九州支部 広報部長 上瀧勇哲




先人の恩師・親友 topページへリンク







newpage9.htmlへのリンク
私の生き方を正しく教えてくれた 「先人の恩師、親友シリーズ」
 九州礒釣連盟 北九州支部長 松井睦明さん

         海洋磯釣俱楽部・事務局 上瀧勇哲
newpage10.htmlへのリンク
newpage11.htmlへのリンク
newpage12.htmlへのリンク