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               mujik ポール・モーリア (バラ色のメヌエッド) No.3
2025.3. 私の生き方を正しく教えてくれた「先人の恩師・親友シリーズ」No.3
春のそよ風が待ちどおしいこの頃、皆さん こんにちは。そして 毎日のライフに お仕事 大変お疲れさまです。さて、先人の恩師・親友シリーズ3は、私の執筆活動に最も影響受けた、全九州釣りライター協会事務局長、小路隆さんを紹介します。
小路隆さんとの出会いは、私より妻の洋子ちゃんの方が早く、彼女と新婚生活を始めた北九州市若松区、吉田印刷アパート社宅に来てくれた事から始まります。その日は日曜日。仲間達と長崎県平戸島のキス釣りで、小路隆さんと会えなかったのです。それで洋子ちゃんから伝言を聞き、小路隆さんのイメージを知りました。その事で私と洋子ちゃんは、夫婦でお付き合いできる関係を築きました。小路隆さんは九州礒釣連盟、創立倶楽部の九州礒釣研究会 会長で、連盟の広報部長の要職を勤める方。更にジャパンダイナミック磯釣連合と深いお付き合いがある事、通いの若松.矢野釣具店で知っていました。私はまだ20代、やっと磯釣を経験するぐらいの初心者。しかし海洋磯釣俱楽部を立ち上げ九州礒釣連盟の創立クラブとして、今からスタートを始める若者集団でもありましたから小路隆さんはどんな人?、まだ何にも分かってない私に海洋磯釣俱楽部でした。その事が少しずつ知りはじめたのが九州礒釣連盟との関りです。海洋磯釣俱楽部は投げ釣りを得意とする全日本サーフ 北九州協会 三萩野サーフキャスティングクラブに私を含めた弟、二人に仲間がいましたから、磯釣もする、ウキフカセ釣りの先輩達も多く、何でも出来る釣りスタイルから始まった釣り倶楽部です。その事で小路さんを含めた本格的な磯釣りクラブとは縁遠い存在です。その中でチョットだけ繋がる部分は私が原稿書きをする事、加えて印刷所勤めという価値観ありました。小路さんは当時、読売新聞や西日本新聞の釣り記事を多く書くペンライターのトップスターです。この事が分かるまで3年かかりました。彼の記事は幅広く内容が磯釣の底物からウキフカセ釣り、アユ釣り、渓流からヘラブナ釣り、この時代流行ったイカダ釣り、そして投げ釣りは戸畑サーフから九州磯研サーフまで持つ実力者です。その事で私は全日本サーフ連盟との絆から釣り仲間を多く持てる事になります。その上、私達が所属する九州礒釣連盟には規定対象魚にカレイ、イシモチ、シロキスがありましたから九州礒釣連盟が主催する釣り大会には、これらの魚種に強く、海洋磯釣俱楽部の会員達は、こぞって投げ釣りをするようになります。そのような私達の釣行記を月刊釣りファンや、スポーツニッポン新聞、そして毎日新聞社から執筆の依頼を受け、更に励む私でした。その事で海洋磯釣俱楽部の会員が増え、多いときで37人登録され様々な活動が始まりました。そして小路隆さんは九州礒釣連盟の広報部長として機関誌「九州礒連だより」を自費で発行します。会員6000人に届けられる部数は、とてつもないアクションに資金パワーが必要です。有名釣り具メーカーさんに支えられた広告に、彼の巧みなアクション、実力は、誰もが支えたくなる気風をもつ人柄でした。
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海洋磯釣俱楽部20周年記念誌より抜粋

その事で私はある事に気ずくのです。私達、海洋磯釣俱楽部の気風は吉田印刷磯釣クラブから受け継がれた釣りマナーアップ「来た時よりも奇麗な釣り場」釣り場美化活動でした。保理剛太郎会長が始めた海洋磯釣俱楽部の常会で「ホームグランドの筑前大島の釣り場美化を、もっと大きなアクションでやろうか」仲間達18人で1980.5月、海洋磯釣俱楽部の月例会として納竿前の2時間、大島の裏磯、送迎してくれるマイクロバス駐車場に置かれたゴミはもちろん、磯釣り場の灯台下から三浦磯のゴミ回収は民宿から借りた軽トラックにゴミ満タンは中西さん兄弟に藤崎さん井上さんグループ5人。東波止は浜部さんに川原さんをトップチーム5人が軽トラック満タンのゴミ回収。西波止チームは保里会長に東さん、辰ちゃん、内田さん森さん、益田さんと私で腐ったジャンボアミ汁が犬走り下にこびり付き、衣服が泥まみれ。家から持って来たゴミ袋に大島漁協から貰ったセメント肥料袋20枚を使い果たし、指定された大島漁港のアミネットゴミ箱に、山盛り入れた事をカメラ取りし海洋磯釣俱楽部の釣り場掃除が完了。この時代は良く釣れる筑前大島の月例会に大会を年三度以上していた海洋磯釣俱楽部。もちろん、このような釣り場美化活動は毎度、仲間内で「来た時よりも奇麗な釣り場」しているから、当たり前のようなボランテア奉仕でもありました。その事で私達が利用する民宿三浦屋、大島旅館、漁協からゴミ袋が無償で頂ける関係が築かれていました。その事を月刊 釣ファンと全九州釣りライター協会 小路隆さんに活動内容と写真を添え、始めて原稿を送ったのです。すると、まさかの読売新聞に西日本新聞、九州スポーツ新聞にも細かく私達の美化活動が記載されました。そして5ケ月過ぎたころ東京から、まさかの宅配便は(公財)日本釣振興会から感謝状盾に金メダル、礼状がありました。後記に全九州釣りライター協会 小路隆さんから、記載された新聞と雑誌のコピーが添えられ、九州の釣り人はマナーが良い倶楽部があると紹介されていたのです。小路隆さんが取り持つ縁で(公財)日本釣振興会から「大型の釣り場ゴミ回収袋」が海洋磯釣俱楽部に必要なだけ頂ける関係が築かれ、中型ゴミ袋も最大600枚にチラシやポスター、軍手まで。その事で始まる海洋磯釣俱楽部のゴミ回収目的の釣り大会には、いつも(公財)日本釣振興会が協賛してくれました。これも小路隆さんのおかげがあります。私が30代に入ったころ九州礒釣連盟北九州支部の広報部長を勤める事になり、松井睦明北九州支部長の下で「(公財)日本釣振興会、九州地区の会議」取材した私。その時、㈱タカミヤ社長、高宮俊締さんが全九州釣りライター協会に推薦する、とかで会議に出席していた高橋会長が快く承諾。これが事務局長 小路隆さんとの、お付き合いの始まりとなります。私は早速、小路隆さん後押しの九州礒釣連盟「機関誌北九州支部だより」を創刊します。しかしながらボランティア、自費で発行するのは並大抵のことではありませんでした。
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小路隆さんが始めた「機関誌 九州礒連だより」も長くは続かなかった事もあり、私も6年間必死で耐え、双方とも主役がペンを置いたら続かない。九州礒釣連盟の役員から各県支部長までのお世話係は、全てがボランテア奉仕で成り立っ、今の現状です。個人のパワーでは通用しないのが当たり前。その事で小路隆さんは九州礒釣連盟から身を引いたのです。しかし私とのお付き合いは亡くなるまで続きました。その絆、関係から私のペンライターの師匠と言えるぐらいの価値観を頂きました。その事を今から紹介します。

全九州釣りライター協会創立は1974.スポーツニッポン新聞、釣り欄の編集局長していた高橋誠さんを会長にし、事務局長の小路隆さんが、当時九州釣界でペンライターとして活躍していた26名で創立しました。小路 隆 事務局長はパワーと人気を、合わせ持つ方で、超有名な人でした。そのような方と最後までお付き合いを全うした私。とは言っても私の父親ぐらいの方ですから師匠の過去の生い立ちは書物によるものでしかありません。その出会いは九州礒釣連盟が創立された1977年5月の定期理事総会でした。
私は若松地区所属の海洋磯釣俱楽部の書記長。会長の保理剛太郎さんのお伴で磯連各会議には会長代理などで全て出席しておりました。第一回、定期理事総会は九州電力記念体育館(北九州市小倉)だと想います。九州礒釣連盟初代会長は都留正義さん、都留さん以下の執行部は、あらかじめ九州礒釣連盟設立準備委員会で決められた内容で、九州各県地域から参加したクラブ(会)の会長から賛同を得たもので総会は進行されましたので、参加した私達は聞くだけ。拍手を持って成立した役員と規約、色々ありました。その中に広報部長、小路隆さんの名前がありました。これより九州礒釣連盟が都留正義会長以下、各県、支部長のもとで事業が行われます。そのベースとなるのが北九州市門司区柳町の都留会長が経営している酒屋さんの中にある 事務所でした。後付けになるのですが、私が住む北九州市若松から近い事で海洋磯釣俱楽部が事務所にしていた若松・はまや釣具店から依頼の、九州礒釣連盟の魚拓用紙や磯連のワッペン、北九州支部ワッペン、バッヂ等、良く買いに行った所です。何も分かってない九州礒釣連盟のシステムに、ただ翻弄されていた私でした。それでも魚釣りの趣味の延長にあったストーリーを書く事が好きだった事が幸いし、なぜかしら依頼も、されてないのに書いた月刊 釣ファンの釣行記事が本の中で活字となり読めた喜び、幸福でした。海洋磯釣俱楽部、会員16名から始まった釣行記事は年6~7度、仲間達が集まり「来月は何処に行こうか?」で決定され、参加10~15人ほどで、北九州市をベースにして山陰や大分県で遊びます。人数が多いので海洋磯釣俱楽部の規約に沿って決められた団体行動はもちろん、釣り場や日時、釣れた魚を全員検量する仕組みに、年間トータルで新年会で表彰する重量賞に大物賞がある楽しい釣りクラブでした。
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その事で釣行意欲が増し、釣り情報はもちろん仲間達のチームワークから、楽しみを得るアクションプログラム多くありました。加えて九州礒釣連盟、組織の中での釣り大会の参加で私達は夢のような釣りロマンスを頂けました。これが私の釣行記を書く事の面白さを充実させ、更に高められた趣味の世界。そして、まさか原稿料が頂けるなんて夢みたい。これがペンライターとしての始まりかも知れません。その事で俱楽部を通し遊びが増々エスカレートしてゆく訳ですが、この釣り趣を同年代から先輩達が更に増長させてゆくプロセスは、歯止めがきかないアクションがありました。しかし釣りバカでは生活が成り立たない事が多く、深く追求すると会社勤めに悪影響をもたらす結果に幸福な家庭が築かれない現実を知ります。子供が生まれ育ってゆくロマンスに、絶対に趣味より会社が大切。私は家庭の幸福を最重点にしたライフを考えます。会社の為、家族の為、残った時間で魚釣り。その上で少しの原稿書きに釣りのお世話係。このスタイルは今でも一緒。その代わり家庭、会社、魚釣りを三本柱にしました。それ以外の事については関わらない、お金も使わない。その証として給料袋は、そのまま洋子ちゃんに渡し、お金の管理は一切しない。子供達の事も妻に任せっきり。空いた時間で釣り仲間との友好関係を出来るまでイメージした遊びをします。

30代に入ると会社、仕事の責任が重く、ハードルを上げざるをえなかった青年時代。それでも海洋磯釣俱楽部&九州礒釣連盟との関わり、釣界、メデア、執筆活動によるトップスターとの交流にハマると、釣具メーカーとの関連がドンドン私の生活ライフに取り込まれるようになりました。たかが釣行記を書くペンライターの私に、㈱ゴーセンに、㈱オリンピック、㈱日本化学発光(ルミカ)との、契約なしのインストラクターが始まったのです。新製品のサンプルを頂けるお付き合いですが、モニター役として、月刊 釣ファンや、スポーツニッポン新聞OFR(執筆者)は、都留正義会長と、全九州釣りライター協会、高橋会長、小路隆さんとの接点が多くあります。そして海洋磯釣俱楽部の月例会や釣り大会。加えて、九州礒釣連盟に繋がるアクションを加えるだけの執筆者。そして海洋磯釣俱楽部のモットーである釣り場美化活動。これは、メデア、釣具産業、釣り具メーカー、ポイント高宮俊諦社長が強烈に応援してくれました。その弾みをつけてくれたのが小路隆さんでした。

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最初の接点は北九州市若松区のレインボープラザ(公民館)で、釣り講師をしていた田中釣心さんと小路隆さん。その受講生が私と釣り倶楽部の萩原さんに浜部さん。そして若松の吉田印刷社宅に小路隆さんが挨拶に来てくれた事。その後、㈱タカミヤ社長、高宮俊諦さんの紹介で入会できた全九州釣りライター協会で増々もって釣界に携わる事になります。ライター協会から読売新聞、西日本新聞、九州スポーツ新聞に私の釣行記事が紹介されるようになり、海洋磯釣俱楽部としての釣り場美化活動から、一般釣り人を対象した「釣り場美化をイメージした関門海峡釣り大会」等、開催するようになり多くのスポンサー、釣り具企業が応援してくれました。小路さんの自宅は北九州市戸畑駅前のマンション2Fです。私は原稿と奥様が好きな菓子を良く持って行きましたね。又、私達のアクションにも理解して頂き、㈱がまかつ、との交流を助援してくれました。私はGFGの会員ではありませんが、㈱がまかつが始めたカーボンロッドをシルバーロッドから始めました。それ以前に㈱オリンピックと契約なしのモニターで磯ロッドに、投ロッドが頂けた事で、こちらの方に比重を置いた私です。数年後、㈱オリンピック福岡営業所に㈱釣研、田中栄一さんを座長にした「イエローガーイズ」九州フィルドテスター会に登録、今の釣研FG会長、寒竹さんに初代会長の磯嶋さんはじめ12名で活動が始まった時です。九州釣界は増々、釣り具メーカーによる「インストラクター」制度からメーカー独自の組織制度を持つ釣り人の取り込みが始まるのです。

(1998.4 全九州釣りライター協会・総会・新年会は毎年、戸畑の料亭で。田中釣心会長以下会員43名)
しかしながら九州礒釣連盟の組織は後援企業との絆を控え、組織の独立性を保ちながら自由人の磯釣り連盟とした事で私達は、それなりの絆を保ち助援して頂ける釣り具メーカーさんとの関係性を保つ事で、全九州釣りライター協会の相互性をバランス良くお付き合いできます。その事で最も優先すべき事は釣り人のモラルに釣り場環境美化。そして行政との関りを持つ事に加え、釣り人を増やす取り組み。これが最重要課題として私達、海洋磯釣俱楽部は九州礒釣連盟や全九州釣りライター協会 二代目の田中栄一会長。事務局長 小路隆さんの基で、それらの事を頑張りました。その事を最も協力してくれたのが(公財)日本釣振興会の高宮俊諦社長さんでした。(公財)日本釣振興会と接点を深くしたライター協会、小路隆さんは海洋磯釣俱楽部のアクションを多大にバックアップしてくれました。毎年の全九州釣りライター協会の総会に私は30数年お付き合いできたのも小路さんの懐の大きさがあり20代から知り会えた師匠の姿を追っていた私です。小さな接点ですが、北九州市若松と小倉から、戸畑の小路さん家に行き奥様から、おもてなしを受け、たくさんの贈り物を頂けました。
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全九州釣りライター協会 20周年記念式典は北九州市小倉リガロイヤルホテルに仲間達42名がステージに上がり参加620人ほどの釣り人達から拍手が贈られました。名誉会長の高橋さん(スポーツニッポン新聞編集長)が御礼の挨拶、後は事務局長 小路隆さんの一人舞台でもありましたが北九州市長や、㈱がまかつ社長、㈱マルキュー社長より暖かいメッセージが頂けた事。司会するテレビスター栗ちゃんの演出から驚くようなステージが3時間余り続き、参加者に記念誌、参加賞色々。私の稿も記念誌に記載され妻や仲間達が参加しました。

そして30周年記念祝賀パーティもリガロイヤルホテルで、またしても開催。ほとんど小路隆さんが、何もかも指導した内容のステージがあり、スポンサーにマネーが多く出費できたのは、全て小路隆さんの、おかげがあります。一人の釣り人が、これだけの九州釣界を動かす原動力は、何かを知りたいぐらいですが、私達、凡人にはないパワーを改めて深く感謝し、ペンライターの師匠としての生き方をここで学んだのです。
そして40周年記念パーティを前にして小路隆さんは去ってしまわれました。師匠の恩恵を多く受けた私。海洋磯釣俱楽部は平凡な釣りクラブではありますが、他の釣りクラブにない、ハングリー精神があり、モットーとしている「来た時よりも奇麗な釣り場」「釣り場環境美化活動」に「未来の釣り人を育てるハート」で、今、海洋磯釣俱楽部50周年を迎えています。その中の一人として迎えた小路 隆さんが海洋磯釣俱楽部20周年記念誌に書いてくれた稿を、ここに紹介し、彼の釣界に対する栄光の釣り人として讃えたいと想います。敬愛

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   九州礒釣連盟 海洋磯釣俱楽部 創立20周年記念誌より抜粋

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8p   九州礒釣連盟 海洋磯釣俱楽部 創立20周年記念誌より抜粋


   九州礒釣連盟 海洋磯釣俱楽部 創立20周年記念誌より抜粋

1997.5.九州礒釣連盟 海洋磯釣俱楽部 創立20周年記念誌を発行
する為、お願いした㈱オーナーばり 代表取締役社長 中道弘藏 様より多大な寄付を頂きました。その事を踏まえ、私とお付き合いのある釣り具メーカー様はじめ釣具店、雑誌社、釣り仲間、個人の皆様から、ご支援、寄付を頂ける事となり下記のような386p。900冊の記念誌が出来ました。
その上で
本誌に全九州釣りライター協会 小路隆さまから、ご挨拶に原稿まで頂きました。
また本誌発行に伴う皆様には感謝の冊子を贈り、本当に今でも感謝しております。
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修正.海洋磯釣俱楽部 創立20周年記念誌制作は1995年〜1997.5月発行

 2025.3月、小路さんご夫婦に差し上げたお手紙です。

2025.3. 私の生き方を正しく教えてくれた「先人の恩師・親友シリーズ」No.3
私の生き方を正しく教えてくれた 「先人の恩師、親友シリーズ」
全九州釣ライター協会事務局長 小路隆さん
海洋磯釣俱楽部・事務局 上瀧勇哲

拝啓 春のそよ風が待ちどおしいこの頃、仲良しの小路さんご夫婦 こんにちは。そして 毎日のライフに 全九州釣ライター協会等の、お仕事 大変お疲れさまです。
さて、先人の恩師・親友シリーズ3は、私の執筆活動に最も影響受けた全九州釣りライター協会事務局長、小路隆さんを紹介しています。
小路隆さんとの出会いは、私より妻の洋子ちゃんの方が早く、彼女と新婚生活を始めた北九州市若松区、吉田印刷アパート社宅に来てくれた事から始まります。その日は日曜日。仲間達と長崎県平戸島のキス釣りで小路さんと会えなかったのです。それで洋子ちゃんから伝言を聞き、小路隆さんのイメージを知りました。その事で私と洋子ちゃんは、夫婦でお付き合いできる関係を築きました。その上で、お父さんとは全九州釣ライター協会で大変お世話になりました。また海洋磯釣俱楽部との、ご縁を更に増幅出来た事も感謝でしかありません。九州釣り文化活動をペンのパワーで活躍できる事。更に海洋磯釣俱楽部とか九州礒釣連盟、一般釣り人を取り込んだ私達のアクションに深く感動してくれ、(公財)日本釣振興会との絆を持てる関係は小路さんのお陰です。その事で更に仲間達から九州礒釣連盟 支部長、地区長が応援してくれました。私のバックアップを、いつも小路さんが支えてくれたから海洋磯釣俱楽部に私の頑張り、出来たと想うのです。その上で私のホームページに恩師として小路さんを紹介しています。また機関誌サーフメイズ JAPANにも同等にコピー記載しました。勝手な事して申し訳ありません。ごめんなさい。機関紙サーフメイズJAPANはポイント苅田店、若松店、小倉延命寺店やトップ行橋店。大分のエトウ釣具店ほか、私の釣行先で立ち寄る釣具店にも数部置く事もあります。もちろん㈱タカミヤ・ポイント 会長 高宮俊諦さんや上田社長に橋本さん西森さん他、海洋磯釣俱楽部の会員からおつあいのある釣り仲間に釣具メーカーに、毎号届けています。発行部数100〜200部はダイソー店で両面コピーします。全て自費です。敬具



2024.8.18. MFG九州総会にて・上瀧勇哲

2024.8.18. MFG九州総会参加しました私達
 
2024.8.18. MFG九州総会参加しました小路さんご夫婦

私と洋子ちゃん毎年欠かさず2024.8.18. MFG九州総会参加します。機関紙サーフメイズJAPAN17年とプラス2年、毎年配布しています。



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私の生き方を正しく教えてくれた 「先人の恩師、親友シリーズ」
全九州釣ライター協会事務局長 小路隆さん

         海洋磯釣俱楽部・事務局 上瀧勇哲